久々の更新となります。ファンの方にはご申し訳なく存じております。

さて、eijuは今年でブランド設立以来29年目を迎えます。知名度を追わず、ただ楽器はこう鳴ってって欲しい こう聞こえるはずだ、この思いだけで音づくりをして参りました。これまで音楽を構成する楽器の音色にこだわって参りましたが自分の造って来た音が自分なりにこれでよかったのかいつも自問自答する日々でした。そんな流れの中、私はこの自問自答に検証の機会を設けたいと思っておりました。

おりしも、数年前ヨーロッパ各地で演奏を聴く機会を得、その感動からやはり自分なりにその方向性(自然である事、情報量を正しく伝える事)は概ね合っていると感じるものの、あと何か一つ大きなものが足りていないのではないかという疑問が残りました。これは何かと考えたときに 音と音楽の聴き方の違いといいますか音が良ければ音楽が伝わるのか?私はそれは違うと思っています。私はhi-fiを目指す者として矛盾しますが例えば昔のモノラル時代の 演奏にも素晴らしい演奏が多く存在しますし、またレコードも発売されていない地元の方々による教会ミサ曲の演奏等で真に心がこもっていて感動を得られる事も多くありここに音と音楽は明らかに別物であるように思えてくるのです。

そこで今回私はこの部分の検証の一つとして音楽の原点といわれるBachを勉強させてもらおうと思いました。バロックといわれる音楽の起源で音楽に対する多くの試み、技法を生み出しやはり現代のすべての音楽の原点であると私は思っています。ご存知の方も多いと存じますがBACHは聖書をドイツ語に翻訳したマルチンルターの宗教改革の布教活動に賛同し『神は衆生とともに』を布教するための宗教曲を多く提供、これは神の為でなく衆生との祈りを一にする目的で作られたと私は考えます。それが初めて音楽という形態となったのではないかと推察します。これは私の私見ですが、この段階では今で言われる上手、下手といった表現でなく一つの祈りの形=音(エネルギー・パワー) となって響き渡ったと思います。それが現代に系統的に整理され伝承され今私たちに感動を与えて頂ける音楽となっている事を感じます。BACHは作曲家である前に優れた布教者ととしての功績を感じます。

さて、話が大きくそれましたが、これをエイジュごときがどう解釈し、表現していくのかについてですが、ポイントとしてはこの音楽を謙虚に捕え虚飾なく透明感のある音色に表現できればと思っています。これらは従来開発してきました特に eiju edition がその表現に近いのではないかと思っています。これをご採用の方、是非Bach 特に 受難曲 ロ短調 など如何でしょうか?

 

このテーマとは

1、情報量(個々の楽器はその素材感を明確に表現されているか)

2、過度特性(どんな楽器の音が最後に残るか?そしてどこへ消えていくのか?)

3、低域エネルギーの残響(ティンパニーの倍音、大太鼓の残響これらの重なりや分離)

実際にオケを聴いてこんな聴きかたをなさっている方はおられないと思いますが、私は自分の造った製品のチェックや小社システムのお客様のチューニングを

させていただく際はこれを課題としております。

 

話はずれてしまいますが、驚いたのは学友協会大ホールのウイーンフィルのハーモニクス。1st Vc.2nd Vcがそれぞれソロか?と思うくらい同調していてその倍音の美しいこと。また、奥行きも広くないステージでのテンパニと大太鼓の自然ななり方と消え方。私は日本に戻って次回はこの再生に挑もうと決意しました。

これまで 私の私感で述べて参りましたが、私の音づくりの姿勢として感じて頂ければ幸いに存じます。また、大切なことはこの姿勢を今後もぶれず守り続けて行くと心に刻んでおります。 これからも長きにわたりエイジュをご愛用頂ければ幸いです。 この乱文をご高読頂きましてありがとうございました。

     

 エイジュ株式会社        

    川谷 英壽

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