エイジュホームページをご覧いただきありがとうございます。
小社は自らの思いに忠実にここまでやって参りました。具体的には 自らの受ける音楽(感動)を表現する事に重点化する。他社様を含め世間の風潮に流されない モノを作りすぎない 私の音に対する志向をご理解頂けるお店にお取引をお願いする お客様の小社製品を保有する価値・満足を守り続ける これらを主眼にしてて参りました。そんな小社ですがここまで存在出来ている事はご指示頂いているお店様 お客様のお陰と改めまして深く感謝する次第です。
今回は、残念ながら新製品のご紹介はありません。今は納得のいく製品の開発は難しいと判断しております。2つの理由です 世界情勢が不安定 円安 どうしても海外に頼らなければならない現状において、創っても仕方のない製品は創らない事が得策と思っています。しかし、私自身作りたいと思っている製品は数点ありますので落ち着いた段階で再度開発に着手したいと思っています。
そこで、現在小社が保有する製品在庫を以下に記します。これはSpeaker Lineが中心となりますが、Amp Lineは完売の状況です。なお、エイジュのアンプ(oem含む)ご採用の方でO.H やVersion up をご検討の方はご相談ください。正規の物であれば対応可能です。筐体部品の一部はありませんが、電子部品は保有しておりますのでご安心ください。
在庫機種
型番 口径 諸元 希望小売価格(税別)
ET-200W 20cm sub woofer/Mid Low bass ¥70,000
ET-160.02 16㎝+3㎝ 16㎝ 2way(net workなし) ¥160,000
EF-130ca-k 13㎝ 13㎝ coaxial ¥68,000
EF-130kv 13㎝ 13㎝ full range ¥120,000 表示価格違い修正後価格
EF-50kv 5㎝ 5㎝ full range ¥46,000
これらについては現在に至っては材料、コストの問題でこの価格では再生産不可能な大変貴重なものばかりです。ご理解頂ける方あればお問い合わせください。
販売店様をご紹介させて頂きます。
さて、今 製品開発が出来ない渦中で今まで自分のやってきた方向性が自分なりに合っていたか検証するチャンスと捕え、様々な場所に出向き種々感じて参りましたので
以下はその報告です。一見 海外旅行の旅行記のように感じられる方もおられるかもしれませんが、1人で出かけたこともありいろいろな方にご意見を頂き現地の方々の音楽と生活の関係に納得してきました。クラシックというと日本では少し敷居が高くましてやBrucknerというと演奏時間も長く同じ旋律が繰り返す部分もあり遠慮がちな声も伺うのですが、私自身の音楽観の中では重要な位置を占める作曲家です。
Bruckner haus
念願のLintz へ行くことが出来ました。これは私の個人的な趣向ですが若い頃よりこの作曲家の音楽に惹かれ私の音楽観に大きな影響を与えてくれた1人です。壮大なスケールと繊細な表現、美しい和音、他を意識しない独特な世界観どれをとっても自分の目指すところの一つです。これにはまって50年以上になりますが聞けば聞くほどその深さを感じており機会あればその生い立ちと背景について興味が沸き、今回Lintzから始まって生誕地Ansfelden、St.Florian修道院の演奏会も鑑賞し人としてのBrucknerを理解したいと思い出かけたわけです。
St.Florian 修道院 演奏会場
ここでは念願であった交響曲第8番を聴きました。ご存じの方も多いと存じますが、彼はここで約10年オルガニストとして勤めその後作曲活動へ移行するのですが最初は誰にも認めれず43歳になって第7番の交響曲がやっと認められ以降少しづつ頭角を現していく流れとなるのですが、最初は田舎から出てきた純朴な人柄で他の作曲家の如く激しく競争することもなくひたすら自分の音楽を理解してもらおうと努力する姿だったようです。彼の音楽に対する世界観はもはや他の作曲家にはない独自なものがあったからと思えるのです。今回私が驚いたことはこの演奏会に参加される方々です。最初会場に入り周りの観客を見回すとご年配者が多く、たまたま私の席のとなりにおられた丁度私くらいの年齢の女性に伺ってみました。皆さんにとってBrucknerってどういう存在ですか? 彼は私たちの父の様な存在です。この答えに私は思わず音楽の本質を思い知らされました。音楽は旋律や和音、作曲技法、そんなものでなく 心 思い 本質はそこではないか? 私は現地の方に音楽の聴き方、捉え方について改めて教えて頂くことができました。
St.Florean 修道院外観
まずはこの大きさに驚きました。前述のコンサートはこの中で行われたのですが、Brucknerの音楽の厚み、奥行き
深み を納得させる堂々たるたたずまいです。彼はここで約10年間オルガニストとして活躍しその後Lintz,Wien と出ていくわけですが、最期にはここに葬って欲しいとの願いでこの修道院のオルガンの設置されている地下に葬られています。先にも述べましたが、現地の方々の父 という立ち位置が ふさわしい生涯だったのではと思いました。